フジテレビの社長などを歴任した遠藤龍之介さん(68)は、民放テレビ・ラジオ207社が加盟する日本民間放送連盟(民放連)の会長を務めている。インターネットに視聴者を奪われる中、放送はどう生き残りを図るのかを聞いた。(共同通信編集委員・原真)
▽才能ある人に会えた
遠藤さんは1956年、東京に生まれた。父は、小説「海と毒薬」「沈黙」やエッセー「狐狸庵」シリーズで知られる作家の遠藤周作さん。文化的な環境で育ち、子どもの頃はテレビで「サンセット77」「ベン・ケーシー」「コンバット!」などの外国ドラマをよく見ていた。10代になると、ラジオの深夜放送に親しむ。特に、「オールナイトニッポン」のディスクジョッキーを務めた糸居五郎さんに影響を受けた。「海外の音楽をものすごく早いタイミングで放送するんですね。心を動かされた経験があります」と遠藤さんは振り返る。
慶応大の学生時代は、映画や音楽、小説を好み、就職では映画会社を志望した。「映像は、いろんな広がりがある。音楽を乗せることもできるし、小説をドラマ化することもできます。トータルとして、一番楽しみが多いかな、と思っていました」。ところが、映画大手は不況で新卒採用をしないという。そこで、テレビに方向転換し、1981年、フジテレビに入社した。
編成局勤務が長く、編成部長にも就いた。どんな番組をいつ放送するかを決める、テレビ局の中枢部門だ。制作会社やスポンサーと調整して、番組を企画することもある。遠藤さんは時代劇「鬼平犯科帳」や2時間ドラマなどを担当した。
「いろんな才能のある人に会うチャンスに恵まれました。往時の名監督、大脚本家、素晴らしい俳優さん、『この人しかできない』という京都の撮影所の結髪の方…。そういう人たちと、場合によっては食事やお酒をご一緒して、いろんな話を伺える。自分の世界観が広がりました」
▽ライブドアの敵対的買収に直面
駆け出しの頃、上司が不在の打ち合わせで脚本に意見を述べて、制作会社のベテランプロデューサーから「君はまだ鵜(う)飼いの鵜なんだから、黙っていなさい」としかられ、業界の厳しさを体感したこともある。