有料動画配信の「U-NEXT」は会員数が約500万に上る。米国の「ネットフリックス」に次ぎ、国内事業者としては最大のサービスだ。創設したU-NEXT HOLDINGS社長の宇野康秀さん(62)は、早くからインターネットの可能性に注目し、テレビ局と提携しながら、ビジネスを拡大してきた。そんな宇野さんが想像する、テレビとネットの近未来は―。(共同通信編集委員・原真)

 ▽就職して1年で起業

 宇野さんは1963年、大阪市で生まれた。「子どもの頃から、テレビは普通に見ていましたが、映画を見るのが多かったですね」と振り返る。明治学院大に通っていた時は、毎日のようにビデオをレンタル。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など、SF映画を中心に楽しんでいた。

 「当時、科学雑誌か何かで、米国で通信インフラを使って映画を配信する実験の記事を読みました。ワクワクして、そんな仕事に携わりたいと思った。レンタルビデオ店では、新作が貸し出し中だったり、返却するときにVHSのテープを巻き戻していないと怒られたりしていましたから」

 学生時代から起業を志し、不動産会社のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)に就職したものの、1年で退職。1989年に、人材サービスのインテリジェンス(現パーソルキャリア)を立ち上げる。社長として、順調に業績を伸ばしていった。

 ▽大阪有線放送社を継承

 1998年、大阪有線放送社(後のUSEN)を一代で築いた父の元忠さんが死去する。同社は全国の飲食店などに音楽を流していたが、700万本以上の電柱に無許可で同軸ケーブルを引き、何度も摘発されていた。元忠さんが個人で保証した約800億円の借り入れもあった。

 宇野さんは言う。「父の後継者になることは、全く考えていませんでした。でも、誰かが引き継がないと、会社の存続が危うかった。ちょうどインターネットが広がり始めたタイミングで、同軸ケーブルの代わりに光ファイバーを敷設すれば、超高速の通信網を構築できると考えました」

 大阪有線放送社の社長に就き、全国の電柱を調査して事業の正常化を図った上で、2001年、光ファイバーによるネット接続サービスを開始した。当時、世界でも珍しかった「ファイバー・トゥ・ザ・ホーム」を実現したのだ。「100メガbpsのスピードだから、音楽だけでなく映像も配信できる」と、実験的に動画も提供している。

 ▽GyaO開始

 2002年、楽天と合弁で有料動画配信の「ShowTime」を設立し、2005年には無料動画配信「GyaO」を始めた。「ShowTimeの会員数が増えるのに時間がかかったこともあり、ネットでの視聴体験に慣れてもらうため、無料で広告入りのGyaOを開局しました」と宇野さん。GyaOが1年強で1千万人の利用者を集めたのを受け、2007年には有料の「GyaO NEXT」(現U-NEXT)もスタートさせる。

 だが、動画配信は、すぐにはビジネスとしての軌道に乗らなかった。「時期が早かった。われわれの通信網は十分なスピードがあったものの、ダイヤルアップやADSLはスムーズに動画を送るのが難しかったんです。また、ネットにコンテンツを出すことに権利者の抵抗が強く、残念ながら品ぞろえが少なかった」

 そんな時、リーマン・ショックが起きる。新興IT企業は株高をてこに多額の資金を借り入れ、企業買収を重ねて急成長を遂げてきたが、金融危機で多くが経営難に陥った。USENも2008年度から2期連続、500億円以上の赤字を計上する。金融機関から財務の改善を迫られ、GyaOをヤフーに譲渡。宇野さんは社長を退き、いったんUSENの経営から離れた。

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