プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらった連続インタビューの蔵出し企画「名球会よもやま話」。第53回は2度目のご登場の荒木雅博さんです。定位置をつかむまでの心境や、二遊間コンビを組んだ井端弘和さんとの思い出、中日コーチ時代の指導理念などを柔和な表情で語られました。(共同通信=栗林英一郎)
▽「外れ外れ1位」から成り上がるための方策とは
【荒木さんは2千安打達成の要因に体の強さを挙げていた】
そもそもは田舎(熊本県菊陽町)で育って、おやつもお菓子とかじゃなく、手作りの自然のものだったりとか、そういう小さい頃からの食生活は(体づくりに)だいぶ関わってます。誰かが言っていたのは、一番のプロテインは季節のものを食べること。春には春の、夏には夏の食べ物を食べなさい。それだけで十分だって。昔のおじいさんとかおばあさんが農作業をする時に重たいものを持ってるのを見て、この人たちはプロテインを飲んでたんだろうかと。飲んでませんもんね。
16~18歳の3年間は毎日、高校までの往復30キロぐらいを自転車だった。バスや電車に乗って行けないことはなかった。あえて自転車を選んだりとか、自分の体が強くなる方をしっかり選んでこられたのかなっていう感じはします。めちゃくちゃウエートトレーニングしましたとか、そういうことはやってない。走ったりとかは好きだったんで、走ることや道具を使わなくてできるようなことを毎日やってたかな。
中日では、もともとレギュラーが取れるとも思ってなかった。試合に出られるようになるために、じゃあ走ることだけやろうという感覚でしたね。1軍にいられることだけで良かったので、全体を伸ばしてっていうよりは、1カ所(走塁)だけ伸ばした。試合で、どっかのピースに当てはまればいいやって。結果的にチームの足りないところの穴に入っていき、その形(ミート力、長打力、守備力、走力、送球力を表すグラフの形)がどんどん五角形に近くなっていったってことですよね。バッティングや守備、入り口ってたくさんあるんだよって若い子に教えないと。打たないとプロ野球界で活躍できないって、みんな思ってるので。いや、違う違う。1軍の舞台にいさえすれば、何かの形でチャンスは回ってくるから、まず得意なところを伸ばしていけばいいんじゃないのって。ドラフト上位で入ってきて期待されている人間は、最初から場所を用意していただけますからね。僕は上位とはいえ、外れ外れですから(1995年のドラフト会議で、福留孝介と原俊介を抽選で外した中日が荒木さんを1位指名)。そういう目で見られていなかったので、生き残るためにどうしたらいいんだろうと、自分で工夫していったということです。
▽ヘッドスライディングをするなと言った落合監督も最後に折れた
こいつは守備を外せないとなってくれば、ずっと出られるわけですから。