高さ3メートルの塀が立ち並び、中の様子は見えない。そこから白装束の団体が出てきて行進をし、大音量のお経のような「マントラ」を夜通し流す。目が見えにくくなるような異臭が漏れてくることもあった。

 オウム真理教によるテロ「地下鉄サリン事件」から3月20日で30年。教団が猛毒「サリン」を作っていたのは、山梨県の旧上九一色村で高い塀に囲まれ、何棟も造られた教団施設「サティアン」だった。

 オウムの村と呼ばれたその場所で、生活を守ろうと苦闘した住民たちがいる。そのうちの1人、地区の「オウム真理教対策委員会」の代表委員として先頭に立った竹内精一さん(96)は、監視のため千枚以上の写真を撮った。今も悔しさを募らせる。「地下鉄サリン事件は防げたんだ…」(共同通信=河野在基)

 ▽入植地に入ってきた教団

 上九一色村は、富士山の麓、静岡県境にほど近い山梨県にあった。地図上には、もうない。「平成の大合併」で2006年に分村し、サティアンがあった富士ケ嶺地区を含む南部は山梨県富士河口湖町に、北部は甲府市に編入された。

 竹内さんは戦時中、14歳で「満蒙開拓青少年義勇軍」として旧満州(現中国東北部)に渡り、終戦後4年間、シベリアに抑留された後、1949年、何もなかった富士ケ嶺に入植者として移り住んだ。

 水や電気を通し、酪農や大根栽培が栄えた富士ケ嶺。そこにオウム真理教の信者が移り住んできたのは、竹内さんの入植の40年後、1989年の夏だった。

 ▽サティアン

 「当初、住民は何も知らなかった。初めて違和感を抱いたのは年が明けた1990年2月。何もないところに突然、背丈よりもはるかに高い金属板の塀が次々と建った」

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