〈被災地に手向(たむ)くと摘みしかの日より水仙の香は悲しみを呼ぶ〉

 〈帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云ふやを知らず〉

 上皇后美智子さまが昭和、平成に詠まれた未発表の和歌466首を集めた歌集『ゆふすげ』(岩波書店)が出版された。初めての単独歌集『瀬音』の出版(1997年)から28年。新たな歌集はどうして生まれたのか。原動力となったのは細胞生物学者でもある歌人の永田和宏さん(77)。美智子さまの歌を「一人の現代歌人の歌として、多くの人に読んでほしい」という強い思いから実現した。(共同通信=新堀浩朗)

 ▽眠っていた歌を世の中に

 永田さんは以前から美智子さまの歌に注目していた。「今後100年読まれ続けてほしい秀歌100首」を集めて編んだ著書『現代秀歌』は、美智子さまの若い日の1首を収載する。

 〈てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて〉

 上皇さまと結婚し、常盤松(現在の渋谷区東)の東宮仮御所で新たな生活を始めた1959(昭和34)年の作だ。

 また、永田さんと岡井隆、馬場あき子、穂村弘という現代の代表的な歌人4人が編んだ『新・百人一首』には次が採られている。

 〈帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず〉

 東日本大震災の翌年、2012年の歌会始(うたかいはじめ)の題「岸」に寄せた歌。海を望む岸に立ち、帰らぬ人を待つ願いは、季節の移ろいにかかわりがなく、歳時記に記されない。

 「待つ人」には、津波で行方不明となった人の家族とともに、戦後の外地からの引き揚げ者、シベリアの抑留者など、さまざまな人が重ねられているという。

 美智子さまの歌は、上皇さまとの2人の歌集『ともしび』(皇太子夫妻時代)の後、1997年に『瀬音』が出版されて広く知られ、高い評価を受けた。だが、その後に美智子さまの歌を知る機会は、歌会始や年末に発表される歌などに限られた。

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