候補作六篇(へん)すべてレベルが高くて、受賞三作を選ぶのが難しかったが、どれか選ばないと賞が出せないので、私の好みを優先させて三作を選んだ。そのときの私の気分などが影響しているであろうから、選考結果に不満のあるかたは宮本も耄碌(もうろく)したと罵倒してくださればいい。ことしは豊年である。

 入賞作とした水上朝陽さんの「寡黙な子どもとお守り」は、たぶん六篇のうちで最も題が悪いと思う。どうしてこんなつまらない題をつけたのかと首をかしげてしまう。小説を書いた人と題をつけた人が別の人間なのではないかと思うほどだが、先へ先へと読ませていく力は抜きんでているし、小説のミステリアスなおもしろさという基本的な魅力を最後まで持続させていく力量は入賞に値すると思った。

 少年が小さな袋のなかになぜ隠しレコーダーを入れているのかという疑問は作中では明かされないが、それがかえって読み手にさまざまな事情を想像させて、抑制と省略の妙を示している。文章も理屈っぽくなくて、短編にふさわしい軽やかさだ。

 真野光一さんの「沃野」は、うまさといい文章の安定感といい、六篇中随一であろう。たぶん読んだ人の多くがそう思うはずだ。しかし、「沃野」という題が、小説と乖離(かいり)していて、なぜこういう題をつけたのかと首をかしげてしまう。

 かつて放火の罪で逮捕歴がある若い女性と、彼女を職場で指導することになった男との交流が淡々と描かれていく。酪農農家が使う大型重機のメンテナンスの仕事を彼女は真面目にこなしていくが、ふたりのあいだに陳腐な関係がうまれるのではあるまいなという私のこれまた陳腐な心配は杞憂(きゆう)に終わる。親子のような関係のまま、小説も終わる。ただそれだけ。なにも始まらず、なにも終わらない。じつに珍しい小説であると書くと皮肉になるだろうが、三十枚の小説を読む人にとっては、途中を十数枚飛ばし読みしたような気がするであろう。そこのところで選奨とさせていただいた。

 平石蛹さんの「渦の底から」も、遊園地のアイスクリーム売り場で働く女性と川べりの段ボール箱のなかで暮らすホームレスとの交流である。主人公のディテールがよく描けている。ふたりは小銭を賭けて将棋をして楽しんでいるのだが、わかりやすいメタファではあっても落ちて回転する駒が歩となるときも金となるときも、これから先いくらでもあると暗示している。細かな部分でうまさを感じさせて選奨に選ばせていただいた。

 山本郁人さんの「おはりこ」も選奨にしたかったが、入賞一作、選奨二作と決まっているので、惜しいなあと思いながらも選からは外さざるを得なかった。しかし、差はほとんどない。二十四歳の若い書き手だが、こなれた文章や会話のうまさは春秋に富んでいる。

 積本絵馬さんの「少し後ろの的」にも捨てがたい良さがあるが、理容院が商売として寿命を終えたとは言えないと思う。

 すずきあさこさんの「雪男の足跡」も丁寧にしっかりと書いてあるが、死んだ父の戸籍謄本からあきらかになっていく事柄は、小説としてはもっと驚きがあったほうがいい。