「死ぬなら1人で死ね」発言にいち早く反論した NPO法人ほっとプラス代表理事 藤田孝典さん

生きていることに価値

 川崎で児童らが殺傷された事件後、自殺した加害者に対し「死にたいなら1人で死ね」という声がインターネットやテレビにあふれた。私は「『死ぬなら迷惑かけずに死ね』などと流布しないでほしい」と呼び掛けるネット記事を書いた。

 あれだけの凶行に対し、「人を巻き込むべきじゃない」という感情は理解できる。ただ、誰しもがSNSなどを使って情報を発信できる立場にある今、思ったことをそのまま発信すれば、弱い立場にある人たちを追い詰め、社会の分断を招く。私が支援する人の中には、今回の「1人で死ね」発言を受け、精神状態が悪化したり、うつ状態になったりした人もいる。

 発信する人たちは「正義」と思って加害者を攻撃するのだろう。私を批判する声もツイッターやメール、電話、手紙で届いた。私は加害者も被害者も支援しているが、被害者遺族が望むのは「同じような事件が二度と起きないでほしい」ということだ。事件の背景に目を向けず、「1人で死ぬべき」と一方的な正義を押し付ける行為は、決して遺族の側に立っていない。

 川崎と元農林水産事務次官の事件は、引きこもりの人や家族の社会的孤立が深まっていることを象徴する。なぜ防ぐことができなかったのか。加害者1人の問題ではなく、社会の問題と捉えるべきだろう。川崎の事件のように、絶望した人が他者を傷付けるケースはまれだ。社会に対するうっ屈した何かがあったのではないかと思う。

 日本社会には、家族の問題は家庭内で解決すべきという意識が根強い。以前関わった引きこもりの家族から「子どもを殺して心中しようと思っていた」という声を聞いた。当事者家族は孤立を深め、自分たちで解決するしかないと追い詰められる。私は常々「個人的な悩み」は「社会的な悩み」だと言っている。個人の悩みは、社会の仕組みが追い付いていないから生じる。

 昔は、父親が一家の大黒柱として働き、母親が家事や育児を担い、祖父母も同居する3世代家族が主体だった。良くも悪くも単線的で、他人が介入せずとも家庭内で解決していた。現代は未婚や非正規社員が増え、困り事が起きやすい割には考えが旧態依然としている。いまだに団塊の世代が構築してきた旧来型モデルを理想としている。

 引きこもりの人たちは、障害者でも要介護者でもなく、15~64歳の「稼働年齢層」が中心。日本社会は、シングルマザーも含めて働ける人には厳しい。長時間労働や低賃金、パワハラなど職場で傷つき、決して怠けているわけではない。周りや地域の人たちはいろんな事情を抱えているのだと理解し、「生きているだけで価値がある存在」と受け入れることが必要だ。

ふじた・たかのり 1982年生まれ。社会福祉士、聖学院大客員准教授。2011年にほっとプラスを設立。生活困窮者や生活に課題を抱える人らの支援を年間300~500件担当する。埼玉県在住。

「この人に聞きたい」は折々の社会現象を深堀する北日本新聞のインタビュー企画です。2019年7月1日掲載の「引きこもり どう支える」のテーマでは
長男が不登校と引きこもりを経験した 「とやま大地の会」副代表 米谷貞𠮷さん
引きこもりや不登校の若者の共同生活寮を30年間運営する ピースフルハウスはぐれ雲主宰 川又直さん
にもインタビューをしました。コノコトで順次ご紹介します。