受賞者インタビュー

自立心の芽生え描く

入賞・中村 公子さん

中村 公子さん(写真)

愛用の原稿用紙を前に「ワープロは、知らない漢字も使えてしまう。自分の作品ではないみたいで、執筆はいつも手書きなんです」と語る中村さん=青森県弘前市の自宅

プロフィル

なかむら・きみこ 1973年青森市生まれ。青森中央高校卒業後、菓子製造会社などに勤める。母、小学4年、1年の娘2人と4人暮らし。

 「テーマは『女の子の自立心の芽生え』なんです」。津軽弁の柔らかな抑揚が端々に混じる。受賞作も会話は全て津軽弁。地元青森の空気や気温、においが立ち上る。

 小学校6年の女の子の目を通して、娘に心配をかけまいと病と闘う「お母チャ」を描いた。立て付けの悪いたんすの引き出しを開ける場面やキャラメルをなめて涙をこらえる場面など、生活感のある小道具を使った心情描写は、地元選考委員も高く評価した。

 子どもの頃から文章を書くのが好きで日常を題材に物語をつづっていたが、完成したのは片手ほど。全国公募の文学賞にも応募してきたが「なかなか結果が出なくて…」。30枚という規定が短編志向の自分に向いていると思い、初めて北日本文学賞に作品を送った。

 題名の「藁焼き」は、稲刈り後に行うわらの野焼きを指す。東北に暮らす人には、出稼ぎの時期を迎えたことを知らせるのろしでもあった。毎年10月下旬になると、古びた木造家屋のすき間から煙が流れ込み、服に染み込んだ。食卓では夕食のにおいと混じり合った。それぞれの家庭の思い出と重なる。「どこかもの悲しく、今となっては懐かしいにおいなんです」

 受賞作は、洗濯物に染み込んだ藁焼きのにおいから始まるように、自らの体験を投影している。中学時代、母の智子さん(66)が入院した。治療で髪の毛が抜けたものの、かつらをかぶって三者面談に出席してくれた。がんだった。当時は病状を語らず、元気になってから「大変な病気だったのよ」と明かした。

 昨年4月には、自身が体調を崩して療養を強いられた。小学1年と4年の娘を抱え、不安が募ると同時に、似たような状況に立たされた母の心中に思いが及んだ。「病気を抱えた母親は、子どもにどう接するのだろう」。そんな問いが、書く出発点となった。

 冒頭とラストシーンを決め、一息に書き上げた。どこかで出会った人々をイメージして書き進めると、登場人物の行動や思いが次々と浮かんできた。最後の1行には2週間を掛けた。推こうを重ね、何度も声に出して読んだ。「少女の強い決意をにじませられたと思う」

 娘たちが学校にいる時間が創作タイム。「物語を書いているとそばにやって来て、声に出して読むので恥ずかしい」。娘には、もう少し大きくなったら読んでほしいと思っている。「お金は残せそうにないけど、作品は残せたのかな」。優しい母の顔を見せた。(文化部・藤田涼子)

行間で感情伝える

選奨・高瀬 紀子さん

高瀬 紀子さん(写真)

たかせ・のりこ 1974年魚津市生まれ。筑波大学卒。北日本掌編小説に3回入賞。

 第43、44回と2年続けて最終候補6編に残ったが、選に漏れた。「何かが足りない」と努力を重ねた中での選奨受賞。「“三度目の正直”ですね」と顔がほころぶ。

 「感情の説明を極力抑え、行間で伝えるスタイルに改めた」という作品は、父の転勤で引っ越しを重ねる若い女性が主人公。進学に結婚、夫の転勤と何度も引っ越した自らの経験を基にした。「煩わしい人付き合いからは逃れられるが、人間関係は希薄になる」。そんな「旅の人」の心の動きを1カ月かけて書き上げ、推こうに2カ月費やした。

 読書好きが高じて10年ほど前から創作を始め、応募は近年、北日本文学賞1本に絞ってきた。「自分が読んで楽しいと思える小説を書きたい」。書くジャンルの幅を広げるのが次の目標だ。

生きる希望を表現

選奨・柴崎 日砂子さん

柴崎 日砂子さん(写真)

しばさき・ひさこ 本名・柴崎寿子。1977年東京都生まれ、日本大学芸術学部中退。2009年度千葉文学賞小説部門受賞。

 小説づくりの基礎を学んだ大学時代は、心に満たされない何かを感じ、持病もあって中退した。その後は板金工や占い師など、さまざまな職業に就いた。5年前に結婚し、再び小説を書くようになったが、そこで見た人間模様は、人物描写に役立っている。

 「飴玉の味」は、炭鉱で働く女性が主人公。三池炭鉱の労働争議に興味を抱いたことが創作のきっかけ。「争議に関わった人たちから、支え合って生きるたくましさを感じた。自分なりの物語で表現したいと思った」。劣悪な環境でも、息子を失っても、主人公は希望を捨てない。自らを鼓舞するために口ずさむ歌が、心地よいリズムを生む。

 北日本文学賞は初めて応募した。「本当にうれしく驚いている」と喜びを語った。