2012年小学3・4年生入賞作品発表

最優秀賞

小矢部市立石動小学校 4年 増川 真凜(ますかわ まりん)さん

北日本新聞8月22日付け
「最先端のがん医療 母国に」の記事を読んで

 私は新聞に、病気を治す事に関係する記事がのってたら、きょうみを持って読んでいます。どうしてかと言うと私は将来、薬ざい師になるのが夢だからです。
 中国の人が日本の、しかも富山県に最先たんのがん医りょうを学びに来ている記事を読みました。日本では当たり前にある健康しんだんが中国にはない事、通院のお金も保険がなく全部自分で支払う事におどろきました。中国から医りょうを学びに来た人は「富山で学んだことを生かして中国の医りょうの発展にこうけんしたい。」とコメントしていました。日本の医りょうが中国に広まって、役に立ってほしいなと本当に思います。
 最近、日本と中国はりょう土問題や昔の戦争の事で仲が悪くなってきています。なので、こういう人と人との交流のつみかさねが日本と中国との仲を、よくするきっかけになると思います。もちろん他の国々とも日本が仲良くなって、世界がもっともっと平和になってほしいです。
 医りょう関係の記事のなかでも特にがんに関係する記事が新聞に多くのっています。それは、現代の医りょうでは治りにくい病気だからだと思います。私のおじいちゃんもがんでなくなり悲しい思いをしました。だから、がんを治せる薬を発明したいです。そして、発明した薬をいろんな国に広めていって、がんで苦しんだり、死んでしまう人を一人でも少なくしたいです。そのためにも私はたくさん勉強し、新聞も読んで知しきをつけて、世の中の役に立つ薬ざい師になりたいと思います。

優秀賞

射水市立太閤山小学校 3年 桑原 廣太郎(くわはら こうたろう)くん

記者からの「たん生日プレゼント」

 7月16日は、ぼくのたん生日。朝、目をさまして、すぐに新聞を見たら、なんと、ぼくのことが書いてありました。
 前日の「ビッグ碁」大会で、あこがれのプロの先生と対局後、一人の記者が、ぼくのところにやってきました。ぼくは、名前やプロにちょうせんした感想などをお話しました。お話したことが、新聞にどのようにのるのか楽しみにしていたら、次の日の新聞に、「六十五字」と「ぼくの後ろすがたの写真」がのっていました。たくさんお話したような気がしたけど、記者がうまくまとめて書いてくれたのだと感心しました。ぼくにとって、この「六十五字」と「写真」は、記者から「たん生日プレゼント」をいただいたように思え、とてもうれしかったです。
 ぼくは、5才から囲碁をやっています。はじめて出た大会で7連敗。とてもくやしかったので、その後毎日練習したら、次の大会で2位でした。はじめて新聞にぼくの名前がのりました。この時、うれしかったことを今でもおぼえています。新聞に自分の名前がのった時は、よい気分になり、次ももっとがんばろうという気もちになります。
 去年全国大会に出た時には、新聞でぼくの名前を見つけた保育園の先生が、「廣太郎君、がんばれ。」とおうえんされたり、東京にいる親せきからも、「全国大会に出場できるなんて、すごい。」と電話をもらったり。日本のどこにいても、そして多くの人が新聞を読んでいることがわかったので、「新聞の力」ってすごいなあと思いました。
 これからは、囲碁だけでなく、いろんなことにちょうせんして、また、記者に取ざいされて、ぼくのことをもっと大きく新聞にのせてもらえるようにがんばりたいです。

優秀賞

滑川市立西部小学校 4年 高田 もあ(たかた)さん

みんなで守ろう!絶滅危惧種
北日本新聞7月11日付け「こんにちは赤ちゃん」の記事を読んで

 7月11日の新聞にとてもうれしいニュースがのっていました。それは、ファミリーパークでグレビーシマウマの赤ちゃんが生まれたことです。その記事を読むと、生まれたばかりの赤ちゃんなのに、とても大きいことが分かり、写真を見るとお母さんシマウマと赤ちゃんがくっついていて、赤ちゃんは安心しているようでした。また、グレビーシマウマは絶滅危惧種に指定されていることを知りました。
 私は、絶滅危惧種という言葉は知らなかったので調べて見ることにしました。すると絶滅危惧種は、グレビーシマウマのほかにもとてもたくさんいることが分かりました。その動物たちが絶滅危惧種に指定されたほとんどの理由は、人間のせいなのです。絶滅危惧種を一つでもへらすために、例えば紙のむだづかいをなくして森林を守ったり、電気を使わないときは消して地球温だん化をぼう止したり、今すぐできることがたくさんあることが分かりました。私は、みんなにもこのことを知ってもらいたいと思いました。そしてみんなで今から自分たちができることをやってほしいと思います。それは、動物を守ることは私たちを守り、自ぜんを守ることだからです。
 しかし、その日に同じ絶滅危惧種のジャイアントパンダの赤ちゃんが、死んだという悲しいニュースがありました。私達は、動物の赤ちゃんがぶじ大きくなる事は応援したり、見守ることしかできないけど、動物たちの住むところなどの自ぜんを守るために私たちができることはたくさんあります。この新聞記事を読んで自ぜんを守る事はとても大切な事だと分かりました。また、私はもっと絶滅危惧種のことをみんなに知ってもらいたいと思います。いつか、グレビーシマウマの赤ちゃんにあいに行きたいと思います。

奨励賞

富山市立堀川南小学校 4年 辻井 悠翔(つじい ゆうと)くん

北日本新聞8月21日付け
「クマ目撃急増」の記事を読んで

 ぼくは、生き物が大好きです。家でもハムスターやインコ、カブト虫、メダカやドジョウなどたくさんかっています。だから新聞でも、生き物の写真や記事は楽しみです。
 この間、とても心配な事が書いてありました。「クマ目撃急増」です。
 ぼくは、クマがころされないかと心配になりました。ぼくは、立山町のよしみねへよく遊びに行きます。山の近くまで、ログハウスがいっぱい建っているし、近くにはゴルフ場もあります。きっとむかしは、このあたりは全部山で、動物たちが自由に遊んでいたと思います。だから、よくカモシカやさるにあいます。でも、クマとちがって人をおそわないから、そんなに問題になりません。クマは、生きるために一生けんめいえさをさがしているのに、じゅうでうってころされるからかわいそうだと思いました。子グマをころしたら親グマがおこるし、親グマをころしたら、子グマはどうしていいかわからなくて下へおりてくるから、ころすのはよくないと思います。
 おかあさんに聞いたら、おかあさんの小さい時は、そんなにクマのことは問題にならなかったそうです。30年くらいで、急にクマのすみ家がこわされたようです。
 ぼくは、家族でよくトレッキングに行きます。そこで、トンボやバッタをつかまえるけど、帰りには必ずにがします。こん虫の食べるエサや水、空気がちがうとかわいそうだからです。
 ぼくはまだ小さくて、どうしたらいいのかわかりません。でも、身近な自ぜんを守ることから始めて、大人になった時、もう一度この問題を考えてみたいと思いました。

奨励賞

富山市立大久保小学校 4年 坂井 亮太(さかい りょうた)くん

うすれゆく戦争の面かげ
北日本新聞7月26日、8月28日付け「大空襲耐えた煙突調査と解体」の記事を読んで

 ぼくは、ぶんぶんジュニアが好きで、いつも新聞を読んでいます。すると残念なニュースが書いてありました。それは、立山しょう油工場のとりこわしの記事です。立山しょう油工場は戦前に造られ、その当時、赤レンガのえんとつは大変めずらしく、がんじょうで、ハイカラな建物だったと思います。富山大空しゅうで、ほとんどの建物がやけてしまったのに、立山しょう油工場が残りました。しょう油工場は富山を代表する建ちく物です。空しゅうにたえた数少ないきちょうな文化ざいの一つがこわされるなんてとてもおしいと思いました。ぼくは、昭和の戦争の時代についてとてもきょう味があります。だから戦前に建てられたしょう油工場を最後に見てみたいという気持ちになりました。8月に入り4日の土曜日にお父さんと一緒に取材をするような気持ちでつれて行ってもらいました。しょう油工場のしき地の一部が、すでにこわされていました。工場のしき地に入らせてもらうと、おはらいをされていた後でした。ぼくはなぜこわされる建物におはらいをされているのかなぁと思いました。そこにいた関係者の人に聞いてみると、明日から本格的にこわすのでおはらいをしていたのだと言われました。ぼくはこのしょう油工場で沢山のしょう油やみそが作られ、今もまだ、しょう油のにおいがかすかに残る工場がこわされるなんて信じられません。赤レンガのえんとつもまだまだ使えそうなのに本当になくなるのと言う気持ちになりました。90年間がんばってきたしょう油工場にえらいといいたいです。その半面、戦争に生き残ったえんとつがこれを機に忘れさられるような思いがします。しかし、赤レンガの建物の一部が保存されるので、みんなの心にいつまでも残ればいいなぁと思います。

奨励賞

入善町立桃李小学校 4年 上原 未來(うえはら みく)さん

北日本新聞8月15日付け
「戦火の記憶 次代に」の記事を読んで

 最初に、この記事を読んだ時、むずかしい字がたくさんあって、意味が分かりませんでした。なので、お母さんに教えてもらいながら、いっしょに読みました。
 この記事の中に、『戦争を知らない世代』という言葉がありました。それは、わたしのことだと思いました。戦争の話は、教科書や本で読んだ事があったけど、正直あまりよく分かっていませんでした。
 本当につらい体験をされた、前田さんや黒田さんの記事を読んで、少しでも戦争の事を知りたいと思い、じいちゃんとばあちゃんに話を聞きに行きました。じいちゃんもばあちゃんも戦争をけい験していないけど、わたしのひいじいちゃんとひいばあちゃんの話を聞かせてくれました。
 入ぜんのひいじいちゃんは、通信兵でまん州に行ったという事。京都のひいばあちゃんは、戦争で食べ物が手に入らなかったので、自分の着物や指わを、京都からは遠い小矢部市の農家の人に、食べ物と交かんしてもらったという事。どの話もおどろく事ばかりでした。たくさんの人の、生活や命をうばう戦争をどうしてするのかが、わたしには分かりませんでした。
 わたしは、毎日当たり前のように、ごはんやおかしを食べてすごしていますが、それは幸せだという事があらためて分かりました。戦争のない時代に生まれてきたわたしは幸せだけど、かこにこのような戦争があったという事は、ぜったいにわすれてはいけないと思います。それが『戦争を知らない世代』のわたしたちの役目だと思いました。

入選

富山大学人間発達科学部附属小学校 4年 梅川 新太郎(うめかわ しんたろう)くん

夏休みの自由研究は『新聞』

 なぜ、今年の夏休みの自由研究の課題を、『新聞』にしたのかというと、新聞の中の「コラム」にハマッたからです。
 わからない語句を辞書で調べながら少しずつ読み進めていくと、情報を伝えるニュース記事とはちがい、記者の感想や意見が書かれていて面白いなぁと思う時と、考えさせられる時があり、とても奥が深いなあ……と、感心させられる毎日が続き、ハマッたのです。
 『新聞』について、もっと知りたくなり、自由研究では主に二点を調べてみました。
 一点目が、「どんなことが書いてあるのか?」です。事件などの出来事だけでなく、テレビ番組表、スポーツの結果、政治、経済、家庭、教育、芸術など様々な情報がのっています。その他にも、天気予報、広告、ぼくの大好きな四コマまんがもあり、とても充実した内容です。
 二点目は、「新聞が家に届くまで、どのようにして作られているのか?」です。取材→編集会議→整理→校えつ→組版→印刷→発送→配達と、新しい情報を早く正確に分かりやすく届けるために、沢山の人々が関わって作られていることに感謝の気持ちで一杯になりました。
 また、とても驚いたのが、昔は伝書鳩が活躍したことです。1950年代までは鳩の巣に帰る本能がすぐれていたので、遠い場所で取材した原稿や写真を本社に届ける手段だったと知り、現代では電子メールが主なので、時代の移り変わりを感じました。
 50年、60年後、現代では想像がつかないような取材方法が行われ、驚くような新聞の形が作られているかもしれません。
 いつか、そんな日が訪れたら、この夏を思い出し、未来の人々に語りつぎたいです。

入選

高岡市立戸出西部小学校 4年 津幡 優心子(つばた ゆみこ)さん

北日本新聞7月30日、8月12日付け
「異常気象」の記事を読んで

 今年も、毎日暑い日が続いている。外へ行く時は、ぼうしをかぶって、水分ほ給するよう言われる。熱中しょうにならないようにだ。私が生まれて、気温が35℃い上のもう暑日もニュースや天気予ほうでよく聞かれるが、おばあちゃんたちから聞くと昔とは暑さがちがうと言っていた。そして毎日のように熱中しょうで病院へ運ばれる人がいると新聞にある。また、命をおとす人もいる。とてもこわいことだ。熱中しょうの注意事こうを守ることや、夏に負けない体を作ることが大切だと思う。
 それと関係して、陸地の平きん気温が上がっていることや、世界のあちこちでいじょう気しょう(こう水やかんばつなど)がみられているという記事があった。いじょう気しょうは、人々の生活に大きなひ害をあたえたり、作物の出来を悪くする。私たちが生きていく上で大きな問題だ。今後もいじょう気しょうは、ふえていくかのうせいがあると書かれている。これからも世界でおこっていることや研究されていることに注目してみていきたいと思う。そして、小さなことでも自分たちができることをしていきたい。
 今、実さいにこうしている時もこう水で家をなくしてしまった人や、食べ物にこまっている人もいる。オリンピックを見ていると本当にたくさんの国、人がいることがわかる。小さな争いごと(せん争)はやめて、おたがいに助けあってみんなが安心して生活できればいいなと思う。

入選

立山町立立山中央小学校 4年 中田 匠(なかだ たくみ)くん

北日本新聞8月2日付け
「北日本新聞納涼花火」の記事を読んで

 8月1日、富山で花火大会がありました。ぼくは毎年この花火を見に行くけれども、花火が戦争でなくなった人のたましいをなぐさめるために始まったことは、初めて知りました。
 新聞には当時、富山市八人町に住んでいたよしおさんの体験が書かれていました。よしおさんは、人であふれて入れなかった防空ごうに、後で火が回って大ぜいの人がなくなったのを見たそうです。「あんなおそろしいことが二度とあってはいけない。」という言葉に、ぼくは、なみだが出そうになりました。
 ぼくのひいおばあちゃんも戦争を体験しています。ばくだんから必死でにげたそうです。にげて川に入った人は熱くなった川の水のせいでみんななくなったそうです。ひいおばあちゃんはあまり戦争の話をしたがりません。ひさんな光景を思い出すからです。ぼくは戦争を知りません。でも、このような戦争の話を聞いて8月1日には、戦争のことを考えようと思います。もう同じことはくりかえしません、と心にちかおうと思います。きれいな花火を見ることができるこの平和な時代に感しゃしようと思います。

入選

富山市立中央小学校 3年 坂井 佑海(さかい ゆうみ)さん

出来すぎな体そう
北日本新聞8月3日付け「〝体操小僧〟強く美しく」の記事を読んで

 体そうの内村せん手といえば、オリンピック前から、車のCMに出ていました。CMではドラえもんに出てくる「出来杉くん」のやくでした。し合について「出来すぎです。」と言っていたそのCMを見たわたしは、
「本当に金メダルをとれるほどのうまさなのかな。」
と思っていました。
 さいしょのだん体せんではおしくも銀メダルであと一歩でした。その後の、こ人そう合では、内村せん手がほとんどしっぱいなく、全しゅ目15点い上でした。
 次の日、新聞を見ると、内村せん手のかつやくや金メダルをとった様子がくわしく書いてありました。それを見たわたしは、「本当に出来杉くんみたいだな。」と思いました。新聞によると「かん動をとどける。」というやくそくを、つなみにあったみやぎ県の小学生としていて、本当にやくそくをしっかりとまもってすごいなぁと思いました。そしてわたしは、「がんばれば、なんでもできるんだなぁ。」とかんじました。内村せん手は、やくそくをまもるためにきっといっぱい練習をしたのだと思います。ど力家の内村せん手をこれからもおうえんしていきたいです。
 わたしも内村せん手のように体いくや、勉強など、がんばっていきたいなと思いました。