2012年高校生入賞作品発表

最優秀賞

高岡高校 2年 本田 茉実(ほんだ まみ)さん

私たちの 未来へ
北日本新聞8月6日付「異常胎児選び中絶」の記事を読んで

異常胎児選び中絶――。その見出しに目を見張った。多胎妊娠をした後、検査で一部の胎児に異常が見つかった妊婦に対してその胎児を選んで中絶する「減数手術」が行われたというのだ。不妊治療などによって双子や三つ子といった多胎妊娠をした場合、母体の合併症や早産の危険を避けるために胎児の数を減らす減数手術は国内で千例以上行われているという。しかし、今回のように先天性の異常が見つかった胎児を選んで中絶する例が明らかになったのは今回が初めてだと記事は伝えている。
この記事が伝える事実に、私は深く考えさせられた。国内では減数手術について定めた法規制はなく、クリニックが「母子双方に危険を及ぼす可能性がある場合」など独自の指針を設けて実施しているという。「命の選別」――。その言葉が重くのしかかる。どんなに小さくても、生まれてきた命を無下にすることは許されない。今、私たちが抱える「命」の問題は、とても大きく、難しい。
出生前診断や遺伝子診断、臓器移植や延命技術、クローン技術、そして減数手術。この他にも、私たちの持つ技術は私たちの想像を超え、大きく進歩している。人々の多大な努力によって、私たちは今まで知り得なかった情報を手にし、未知の領域へと足を進め続けている。これらの技術の発展が、私たちの寿命を延ばし、病と闘い、そして便利な生活をもたらした。しかし、その輝かしい功績がある反面、私たちが考えるべき問題もより大きなものになっていることも、また事実だ。
もし将来、自分の子どもが生まれる前に異常胎児だと診断されてしまったとしたら――。私はどう考え、どう行動するのだろうか。家族のこと、生まれてくる子どものこと、将来のこと。考えなくてはいけないことはたくさんある。「適切」な判断が自分にできるかどうか、私にはわからない。子どもの小さな命とその未来は、大人たちの決断に懸かっている。その決断を下すのは、もしかしたら将来の私たちかも知れない。決して、他人事として済まされることではないのだ。どちらの方法を選ぶにせよ、その決断に至るまでの深い苦悩は計り知ることはできない。出生前診断という技術により、知るはずもなかった赤ちゃんの情報が見えてしまう。確かに素晴らしい技術だ。しかし、それによってまた別の苦しみが生まれることを思い知らされる。
一体、人の命の「始まり」はいつなのだろうか。受精卵として成り立ったときなのか、心臓が動き始めたときなのか、はたまた産声を上げたその瞬間からか。そして同時に、人の命の「終わり」とは何なのだろう。脳が死んでしまうことだろうか、心臓が止まってしまうことだろうか、それとも――。たとえ私たち人間が「生」と「死」とを定めたところで、きっと誰にも本当のことはわからないのだろう。今、私たちの持つ医療技術は、私たちの心と、考える力とを大きく超えて進歩し続けている。それは素晴らしいことでもあると同時に、恐ろしいことでもあると私たちは自覚しなければならない。進み続ける技術と、追い付くことができない私たち。その先に待つのは、決して明るい未来ではないはずだ。
私たちが今、できることは何なのだろう。それは、目を背けないことだと私は思う。次々と溢れ出る技術の波に呑まれることなく、抵抗すること。その技術一つ一つに対し、利益と不利益と、私たち自身との関係を考え続けることで初めて、私たちは自分たちが作り出した技術を私たちのものにできるのではないだろうか。「人間の命」。科学技術は今、最も難しい部分へと歩み続けている。その技術を生かすため、私たちの未来のため、私たちは「考える」ことをやめない。

優秀賞

富山高校 1年 長谷田 詩織(はせだ しおり)さん

ふるさとと家族
北日本新聞8月1日付創刊129周年企画特集「しあわせとやまを考える1・家族」の記事を読んで

少子高齢化が進んでいる。ここ富山県でも地域によって多少の差はあるが、お年寄りの割合は確実に増えている。
そんな中、富山県は「三世代同居世帯の割合」が全国で5位で、16.1パーセントである。家庭で、三世代が支え合って暮らしているのだ。そして富山県は、国民総幸福量が全国2位の、日本でもトップクラスの「幸せな県」である。その高い「幸せ度」の背景には、温かい家庭の存在があるのではないかと思う。
わたしは、両親が共働きだったために、学校が終わって帰るのは祖父母の家だった。幼いころから、大抵平日は祖父母の家で遊んだり宿題をしたりしていた。同居はしてはいないが、何かあればすぐに駆けつけられる距離に住んでいて、わたしや弟は今でも頻繁に祖父母の家を訪れて顔をあわせている。家族の顔がすぐに見られるというのは、幸せで安心なことなのだと思う。
少子高齢化が進むとともに、社会でのお年寄りの役割が増えてきていると感じる。祖父母宅の地域にはおじいちゃんやおばあちゃんがとても多いのだが、町内のお祭りでは元気いっぱいのおじいちゃんおばあちゃん達が頑張る。祭りには町内の人たちだけでなく、息子や娘夫婦と孫たちも多く参加する。楽しんでいる孫たちの姿を見て、心から嬉しそうな笑顔を浮かべるお年寄りがたくさんいる。そんなとき、やはり家族の存在あって人は幸せを感じられるのではないかと思う。
また、富山県は生活保護の受給率が最も低いが、これも世代間の助け合いによるものだと考えられる。一方で、最近ニュースでは高齢夫婦のどちらかがどちらかの介護をする中で、うつ病や認知症になってしまうと報じられている。その人たちに、頼れる家族はいなかったのだろうか。家族が互いに積極的に関わろうとすることはとても大切だと思う。このようなニュースを耳にすると、いつも胸が痛む。
家庭は人間にとって、生まれてからまず真っ先に属する社会であり、最期まで属し続けるところだ。だからこそ、家庭のあり方が人を作るのだとわたしは思う。必要なときに支え合い、安心して頼れる家族、そんな存在が周囲に感じられたら、人は幸せだと感じるにちがいない。
富山県は、豊かな自然やおいしい食べ物など良いことがたくさんある。それらも富山県の「幸せ度」を高めることにつながっているだろう。しかし、富山に住んでいて感じるのはやはり人のあたたかさだ。富山県以外に住んだことがないので比較しているわけではないが、富山の人たちはあたたかいな、と何となく感じる。人があたたかいところは町があたたかい。人々が感じている「幸せ」は、人に幸せを与えることができるあたたかい人々と、互いを心から思い合える家族の存在に支えられていると思う。
 

奨励賞

富山高校 1年 木下 満里奈(きのした まりな)さん

8月1日の花火
北日本新聞8月2日付「北日本新聞納涼花火」の記事を読んで

8月1日の夜、神通川の空に大輪の花が咲きました。花火大会です。
私も今年初めて、この花火大会に参加しました。新聞記事にもある通り、本当に人がたくさんで、花火はとても大きかったです。打ち上がっている間は友達と歓声を上げていたのですが、花火が終わると少し切ない気分になります。
新聞記事にも書かれているように、この花火大会は富山大空襲の犠牲者の方の鎮魂と復興、平和への願いを込めて始められたものです。8月になると、8月6日の広島での平和記念式典や、8月9日の長崎での平和祈念式典、8月15日の終戦記念日など戦争にまつわる記念日がいくつかあります。この日の話を新聞やニュースで目にする度、頭に浮かぶ話があります。それは、祖母が私に語ってくれる話です。
私の祖母の父親は戦死されたそうです。終戦を目前にした、ほんの数日前のことでした。曽祖父は軍艦で日本に帰ってくる途中、魚雷で攻撃を受けました。しかし、亡くなられたのはたくさんの人がいた中の9人だけなのだそうです。
私はこの話を聞くといつもいつも、なぜ大勢いた中で曽祖父が死んだのだろう、と考えてしまいます。けれど、もし曽祖父が死ななかったとしても、他の誰かが亡くなっていたのです。そして、そのときはその方の家族も私と同じように考えるだろうし、他の8人の方の家族も考えたのだろうと思います。だから、「誰か別の人なら…。」と考えてはいけないと思いました。
やはり、曽祖父の戦死の知らせを聞いたとき、曽祖母やまわりの人は大泣きしたそうです。当時、祖母はまだ赤ちゃんで、父親の記憶が全然ないと言っていました。戦争が終わって、近所の人の家族が無事帰宅し、お土産などをもらって子どもたちは大はしゃぎしていました。そんな中、祖母はぽつんとしていました。
この話は本当に、私にはショックでした。いつも明るくて元気な祖母に、こんな過去があったのだと。もう何回も聞いて覚えてしまっているくらいだけれど、今だに聞く度にこっそりと泣いてしまいます。それぐらいにあざやかに、その時の様子が想像できるのです。友達は父親にだっこしたりしてもらっているのに、自分はしてもらえない様子を想像すると、とてもとても切なくなります。
私は今まで、「火垂るの墓」や「はだしのゲン」のような、戦争の映画を見ました。そして、中学校の社会や国語の先生は、戦争について熱心に語られました。その中では、たくさんの残酷な真実や目を覆いたくなるような状況を私に教えてくれました。けれども、一番身近に戦争を感じたのは、祖母の話してくれた体験談です。一番リアルで私に戦争について考えさせました。
私は祖母が大好きです。そんな祖母につらい思いをさせる、戦争なんていらないです。きっと私のように思う人は大勢います。というより、世界中の人が思うと思います。その思いを形にするために、この8月1日の花火大会には意味があります。今年の花火はとてもきれいでした。来年も再来年もずっと、8月1日の神通川の空には花火が輝いていてほしいです。
 

奨励賞

富山高校 1年 佐伯 藍子(さえき あいこ)さん

北日本新聞8月18日付
「富山まち歩き楽しく」の記事を読んで

2015年春に北陸新幹線が開業します。しかし、新幹線が開業してもこんな田舎に観光客が増えるのか、増えたとしても観光客は富山のまちを満喫できるのか、疑問に思っていました。確かに山のほうには富山の魅力のひとつである雄大な自然があります。それに比べて富山市内には大きなテーマパークもなければ、都会的なビルやショッピングモールも少ないです。これらが私が富山市に抱いていた印象です。
そんな中、新聞の1面で目にしたこの記事。『富山まち歩き楽しく』。よくある宣言のような中身のない見出しだと思いながら記事を読みました。その内容は私の予想を大きく上回るくらい画期的で、富山の未来に希望さえ持てるものでした。ICTによるまち歩き活性化策。文章では少し難しく感じる部分もありましたが、概略図が分かりやすく、すらすらと理解できました。
まず、この活性化策には二つのポイントがあります。一つ目はまちの状況を分析することです。カメラを複数台設置して、性別や年齢層と人が多く集まる場所との関係をわり出し把握するのだそうです。
二つ目は情報の発信です。市内に約10カ所ある電子看板から、場所や時間帯に応じた情報を表示します。また、Wi―Fiスポットの整備もすることで、より多くの人に情報がいきわたるのではないかと思います。テレビでのニュースでは、高校生の半分以上はスマートフォンを持っていると報道されていました。だからこそ、専用のスマホアプリを開発して、その利用者に付近の店の情報やイベントの案内をすることは、絶対にプラスに働くと考えます。私も、地元の者でありますがそのアプリを使ってみたいと思いました。
以上のことで市街地が活性化するのか。やってみないとわかりませんが、私は期待しています。新聞には以下の四つの効果が書かれていました。一、イベントの実施効果の把握や改善への反映。二、まち歩きの機会拡大。三、公共交通利用客の増加と実態に即した整備。四、歩く人の動きに応じた商店の商品開発。しかし私は五番目の効果として、地元の人もさらに富山に愛着がわくことを加えたいと思います。正しい情報を得る環境が整備されることで、私たち市民は新しい発見をする可能性が広まり、共有することで地域とのつながりが生まれると考えるからです。
観光客増加、市街地活性化、それだけではなく、私たち富山に暮らす者にとってもメリットの大きな取り組みだと思います。また、情報化という今の時代にも適応していて、早く実行されないかとわくわくしています。初めのほうに私はさんざん富山市の不便さを書きましたが、もちろん良いところもたくさんあります。ついつい都会的な環境にあこがれてしまう私たち高校生ですが、このICTによるまち歩き活性化策で、もう一度この富山の魅力に気づき、もっと好きになれたらいいです。

奨励賞

氷見高校 1年 藤 亜希子(ふじ あきこ)さん

平和って 戦争って
北日本新聞8月15日付「県都戦災写真ネガ19枚発見」の記事を読んで

今、私たちが住んでいる日本はとても平和です。私の知らないところでは、戦争が起きていたり、デモが発生したりして、多くの人の命が奪われています。日本に、私の住んでいる富山に、戦争やデモがなくて良かったとニュースや新聞で外国での戦争やデモの記事を見て思います。しかし私は、この記事を読んだ時に、他人事だと思うことが出来ませんでした。
1945年に起きた、富山大空襲の写真が見つかったのだそうです。私は広島に原子爆弾が落とされた時の写真なら見たことがありましたが、地元富山のこのような写真を見るのは初めてでした。この写真を見ると、戦争の被害がどれだけ大きかったのかが伝わってきます。この時、初めて、今が平和でよかったなと思いました。いつもは平和ということに対して深く考えたことがありませんでしたが、今はすごく深く考えさせられます。
見つかった写真を撮ったのは、谷田忠雄さん。「撮っておかねばならないという使命感があったと思う」と娘の美智子さんは振り返った。私は、この言葉を読んで、谷田さんは戦争を戦争の起きたその時代だけのものにしてはいけない。どんどん次の世代に伝えていかなければいけないと思ったのではないかなと思います。
戦争などの話に全く興味のなかった私ですが、富山大空襲について知りたいと思い、祖父に少し話を聞きました。すると、
「海の向うの空はすごく真っ赤だった。」
と言われたので、私は
「夕日みたいな感じ?」
と聞くと、祖父は
「そんなレベルじゃないよ。」
と言いました。私は夕日よりも真っ赤な空を想像することができませんでした。そして、戦争の恐ろしさを感じることができました。戦争は人の命を簡単にうばっていくし、人を悲しませる。戦争は何のためにするのでしょうか。戦争をすることで、誰が得をし、誰が喜ぶのでしょう。やっている方もやられている方も良い気持ちにはならないと思います。私はケネディの名言がその通りだなと思います。その名言とは、
「人類は戦争に終止符を打たなければならない。それでなければ戦争が人類に終止符になろう。」
というものです。私は、この記事を読んで、写真を見て、戦争に終止符を打たなければいけないのだと思いました。私のように戦争を知らなかった人でも、みんな私と同じような考えをもつのではないでしょうか。今も外国で起きている戦争。その戦争を止めるために私たちにできることはないでしょうか。日本が平和だからいいという考えはダメだと思います。私たちにできることをさがしだして、世界から戦争をなくすための力にならなければいけないと思います。

入選

滑川高校 3年 島津 莉奈(しまづ りな)さん

読売新聞8月5日付
「異常胎児選び『減胎』36件」の記事を読んで

「減胎手術」とは、双子や三つ子など多胎児を妊娠した際、母子の健康を守る観点から、胎児の数を減らす処置である。この記事では、出生前診断で異常が見つかった胎児を選んで減胎手術が行われたことについて取り上げられている。出生前診断といえば、今年4月から新しくなり注目を浴びている。母子ともに負担が大きい従来の方法とは違い、妊婦の採血をするだけで容易に検査が出来るようになったからだ。この方法ならば、妊婦への負担や流産の可能性はかなり軽減されるだろう。
私が注目したのは、この出生前診断を受ける妊婦の大半が、不妊治療を乗り越え妊娠したということである。記事を見ると、異常が見つかった胎児を選んで手術を行ったケースのうち、不妊治療による妊娠は86%にも及んでいる。さらに、不妊治療を受ける夫婦は6組に1組だと言われている。これだけ多くの夫婦が不妊に悩み、不妊治療に懸けているのに、こういった多胎児や染色体の異常に関して、十分な対策がとられていたのか分からないという無責任さに不安と憤りを覚える。
不妊治療の件数は年々増加傾向にあり、その背景には「少子高齢化」があると、私は考える。少子高齢化時代の労働力の確保には、女性の社会進出が欠かせないのは間違いないだろう。しかし、女性の労働力が上昇する一方で、仕事と子育てを両立させる環境にないことや、晩婚化、価値観の多様化により、高齢出産になる女性が増加しているのだ。「卵子の老化」が始まると言われている35歳以上の女性は妊娠しにくく、それが不妊治療を受ける夫婦の増加につながっているのではないだろうか。
では、高齢出産の増加には、どのような改善策があるだろうか。私は、子育て支援制度の充実や社会全体の子育てへのポジティブな受け入れ態勢が、改善への近道であると考える。アベノミクスの第三の矢の中には、子育て支援についての政策も挙げられている。その政策が社会に浸透することを切に願っている。
減胎手術は「一人でも残せる道」だと、根津院長は語っている。出産は、その時だけでなく、夫婦の今後の人生に大きく関わってくるものだ。何か異常のある子供であれば、多くの苦労が待っているだろう。減胎という選択は、時には夫婦にとって〝正しい〟のかもしれない。
医療の進歩により、たくさんの命が救われる世の中になった。治らないと言われてきた病気も、少しずつ治療法が見出されている。しかし、その進歩した医療で、命を救うだけでなく選べるようになった。出産や育児についての改善策や対策によって、間接的に減胎手術の件数を減らすことは出来るのかもしれないが、今後も少なからず行われていくだろう。
私たちは、命を選ぶ「減胎」について、今一度考えるべきではないだろうか。そうではないと思っていながらも、小さな命を軽く見てはいないだろうか。救うことも選ぶことも出来てしまう今だからこそ、命の重みを考えられる社会でありたい。

入選

桜井高校 1年 窪田 龍二(くぼた りゅうじ)くん

北日本新聞8月16日付
「平和願い今明かす真実」の記事を読んで

僕は、8月16日付の北日本新聞の太平洋戦争に関する記事を読みました。この記事は鳥取の海軍基地で検閲官を務めていた野村保徳さんについてでした。驚いたことに、野村さんも僕と同じ魚津市に住んでおり、桜井高校を卒業した僕たちの大先輩にあたる人でした。
なぜ、この記事を選んだのかといいますと、太字で書いてある、特攻隊への家族の手紙「士気下がる」と焼却、という言葉に目を注いだからです。せっかくの家族からの手紙を読むこともできずに捨てられてしまうことは、戦争中の当時にとってはとてもつらいことだと思います。ですが、野村さんの判断はよかったのではないかと思います。家族の手紙は特攻隊員たちには家族が元気で暮らせているかを知る唯一の情報源ですが、元気に暮らしているのなら会いたくなる気持ちがでてくるはずです。隊員の士気を下げないようにするには手紙を見せないことは仕方無かったことです。今ではケータイやパソコンで、どこにいても簡単に連絡をとることができますが、戦争中には家族にさえ連絡をとることができなかったなんてあまりにも悲しすぎます。
僕は、戦争のない時代に生まれてきました。小学校と中学校で習っただけなので戦争の苦しみや悲しみはどれだけのものなのかは、絶対にわからないと思います。話を聞いたり、本で読んだからと言ってわかるものでもありません。本当にわかっているのは戦争に参加していた人たちだけです。だからこそ、僕たちは戦争のことをもっと知るべきだと思います。宛先人を失ってしまった約200通の手紙を燃やした野村さんの後悔の気持ちは、僕が思っているのよりも大きいものだと思います。日本では戦争はありませんが、海を渡っただけですぐに戦争や紛争をしている国を見つけられるほど、多くの国で争いは絶えません。僕は戦争を体験した人の気持ちはわかりませんが、戦争は愚かなものだということを常に考え、生きることのすばらしさをいつまでも噛み締めていきたいです。

入選

富山高校 1年 黒川 恵里(くろかわ えり)さん

地方新聞

私の家では、前まで夕刊に地方新聞をとっていました。その当時、私は新聞が苦手でした。文字がたくさん詰まっているし、難しい漢字や単語ばかりだし、記事の内容もつまらないものがほとんどだったからです。見るとしても、テレビの番組表か四コマ漫画くらいでした。しかし、そんな私が新聞を読むようになったきっかけは、ある地方新聞の記事でした。地域ボランティアに参加した友達の写真が載っていたのです。その時は「へぇ」という程度でしたが、翌日は近所の知り合いが載っていて、地方新聞に興味を持つようになりました。身近なできごとが書いてあり、親しみが持てる。新聞のくせにおもしろい、と、私は毎日、地方新聞だけは必ず読むようになりました。
それから、私は家族の中で一番、地域の情報通になりました。「○○市でこんなことがあったんだって、怖いよね。」「△△市でお祭りがあったんだって、今度、うちの近くでもお祭りあるね、楽しみ。」と、祖父母や両親に話すことが日課となっていました。祖父母同士も、地方新聞で読んだことが話題になることが度々ありました。
ところが、数年前、地方新聞がぱったり来なくなりました。お父さんに事情を聞くと、朝刊もあるし、夕刊は必要ないと思ってとるのをやめた、とのことでした。それなら、朝刊を読もうと、その全国新聞をめくると、富山県のことが書いてあるページがたった2ページでした。地方新聞に慣れていた私には、ただただ違和感があるだけでした。
結局、私はまた新聞を読まなくなりました。そして改めて気づかされるのです。富山のニュースを知れる機会はこんなに少なかったのか、と。テレビだって、富山のことを伝える時間は少なく、テレビを見る時間帯が合わなければちっとも知ることができませんし、ラジオを私は持っていません。だから、地方新聞を読んでいた時に比べ、富山の情報がめっきり減りました。
今回、この作文を書くにあたって、地方新聞についてよく考えました。中学の現代文では、「新聞=情報伝達の手段」として書かれた評論文を見かけることが多かった気がします。確かに、新聞は情報を伝える手段の一つです。しかし、「地方新聞」にはまだ他の役割があるのではないでしょうか。家族とのコミュニケーションのきっかけだったり、地元が好きになれるような魅力の発信をすることだったり、地方新聞ならではの「できること」が。
今、インターネットが普及し、新聞の存在を見直さなければいけない時代になりました。さらに、人と人との「繋がり」が重視されています。そんな時だからこそ、地域との「繋がり」の手段だったり、手で触れられる紙だからこその良さだったり。「地方新聞」のあり方も見直していかなければならないと思います。

入選

砺波高校 1年 吉田 早希(よしだ さき)さん

北日本新聞7月29日付
「大空襲の現実知って」の記事を読んで

私は富山大空襲についてほとんど分かりませんでした。そもそもこの平和な富山県にそんな大きな空襲があったなんてつい最近まで知らなかったし、今でもあまり信じられません。美しい自然があふれる富山県しか見たことのない私には、そのような情景が想像できないのです。
私がこの〝富山大空襲〟のことを知ったのは本当に最近です。家に帰ってテレビをつけると、たまたま富山大空襲についての特集がやっていました。今の富山からは全く連想することのできないひどい風景に言葉を失いました。しかし風景はまだ見ていられました。やけどに苦しむ人々の姿が映し出されたときです。目もあてられませんでした。本当にこんなことが富山県で!?という驚嘆の思いが大きく現れると同時に、富山県民であるにもかかわらずこのような過去を一切知らなかった自分を恥ずかしく思いました。
そこで富山県民として恥ずかしくないように少しでも富山大空襲について知ろうと思い、少し自分で調べてみました。調べれば調べるほど、どれだけ大きな空襲だったのかが分かり、だんだん調べるのが怖くなっていきました。
『富山大空襲はアメリカ軍が富山県富山市に向けて行った空襲。当時の市街地の99.5%を焼失し、広島・長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。』
たったこれだけの文でもこの空襲がどれほど恐ろしいものかを理解できました。もしも今いきなりアメリカ軍が襲ってきて自分の周りの99.5%が消えてしまったら…考えるだけでぞっとするし考えたくもありません。昨日まで普通に暮らしていたのに突然自分の周りから99.5%が消えるなんて、そんな悪夢が本当におこることが信じられません。この悪夢を実際に経験した人々はどんな気持ちだったのか、「傷つく」「悲しい」「辛い」、こんな単純な言葉では表すことができないほどの気持ちを味わったと思います。
富山大空襲について大分理解してきたころ一つの記事を読みました。それがこの「大空襲の現実を知って」です。これまでは結果しか知らなかったので、実際の被災者へのインタビューに興味を持ちました。被災者にしか分からないような読むのも辛くなる生々しい文章で、読むだけで自分も体験しているような感覚になりました。このような辛い体験をしたあとで牧野さんのように笑うことできるだろうか、追悼の花火を見てキレイだなぁと感じることができるだろうか、いろんな事を考えてみたけれど自分の答えはよく分かりませんでした。家族や友達を失った世界が想像できないからです。それは未知すぎるので、答えは現実に家族や友達を失ったときにしか分からない気がします。それなら一生分からなくてもいいやと思いました。
私もそうだったように富山大空襲について知らない人は多いと思います。被災者の方の為にも、自分の為にも、また富山の為にも、もっと多くの人に知ってほしいです。

受賞者

おめでとうございます

小学3・4年生の部

▽最優秀賞=大丸莉香(黒部市生地4)▽優秀賞=北嶋啓人(富山市水橋東部4)桑原廣太郎(射水市太閤山4)▽奨励賞=道海美咲(小矢部市石動4)藍口郁(射水市下村3)長谷川雄大(黒部市三日市3)▽入選=藤川裕太(射水市大門3)町村百音(富山市柳町3)山田柚穂(上市中央3)和田忠十(富山市神明3)

小学5・6年生の部

▽最優秀賞=中島未貴(富山市杉原6)▽優秀賞=大野芙瑠琉(高岡市戸出西部6)松田わこ(富山市堀川6)▽奨励賞=朝日奈奏未(射水市太閤山6)野村優太(富山市藤ノ木6)松本大輝(高岡市戸出西部6)▽入選=岩林亜弥(富山市長岡6)福澤桃佳(入善町飯野6)堀元優花(高岡市戸出西部6)中元瑠那(富山市四方5)

中学生の部

▽最優秀賞=室谷清乃(高岡市南星3)▽優秀賞=東海周(氷見市西條2)土居野渓心(砺波市庄川1)▽奨励賞=山田健登(富山市八尾3)高柳景(射水市大門1)野島一輝(立山町雄山1)▽入選=川岸佑衣果(高岡市中田3)河原果音(高岡市国吉3)佐藤美緑(射水市大門1)森田ゆず(高岡西部1)

高校生の部

▽最優秀賞=本田茉実(高岡2)▽優秀賞=長谷田詩織、牧田恵実(富山1)▽奨励賞=木下満里奈、佐伯藍子(富山1)藤亜希子(氷見1)▽入選=島津莉奈(滑川3)窪田龍二(桜井1)黒川恵里(富山1)吉田早希(砺波1)

学校賞

おめでとうございます

小学校

さみさと(朝日町)片貝(魚津市)立山(立山町)藤ノ木、三郷、蜷川(富山市)大門、大島(射水市)西広谷、木津、伏木、牧野、戸出西部(高岡市)十二町(氷見市)城端(南砺市)

中学校

入善西(入善町)雄山(立山町)堀川、山室(富山市)新湊、大門(射水市)芳野(高岡市)十三(氷見市)庄川(砺波市)平(南砺市)

高校

桜井、新湊、氷見、小矢部園芸、南砺福光
(順不同)

応募があった学校一覧

小学校(105校)

さみさと、あさひ野(朝日町)飯野、上青、入善、ひばり野、桃李(入善町)生地、三日市、宇奈月(黒部市)大町、村木、上中島、本江、片貝、吉島(魚津市)寺家、田中、西部(滑川市)上市中央、南加積、宮川(上市町)立山北部、立山中央、新瀬戸、立山(立山町)舟橋(舟橋村)萩浦、四方、草島、新庄、藤ノ木、水橋西部、水橋中部、水橋東部、三郷、堀川、堀川南、山室中部、蜷川、太田、大沢野、大久保、上滝、大庄、福沢、宮野、古里、山田、杉原、神明、呉羽、長岡、寒江、老田、古沢、芝園、西田地方、中央、柳町、奥田北、東部、光陽(富山市)放生津、作道、堀岡、小杉、金山、歌の森、太閤山、大門、下村、大島(射水市)国吉、東五位、西広谷、博労、木津、成美、万葉、能町、定塚、平米、二塚、野村、伏木、古府、牧野、戸出西部、中田(高岡市)朝日丘、十二町、上庄、明和、灘浦(氷見市)石動、東部、蟹谷(小矢部市)出町、庄南、砺波南部(砺波市)城端、井波、福野、福光中部(南砺市)

中学校(50校)

入善西(入善町)鷹施、桜井(黒部市)滑川(滑川市)上市(上市町)雄山(立山町)芝園、堀川、新庄、山室、奥田、大泉、和合、月岡、呉羽、三成、藤ノ木、速星、城山、八尾、杉原、片山学園(富山市)新湊、新湊南部、射北、小杉、小杉南、大門(射水市)高陵、高岡西部、南星、志貴野、芳野、伏木、国吉、戸出、中田、福岡(高岡市)北部、十三、灘浦、西條(氷見市)石動(小矢部市)出町、庄西、庄川(砺波市)平、井波、福野、福光(南砺市)

高等学校・支援学校(15校)

入善、桜井、滑川、富山、小杉、新湊、高岡、氷見、小矢部園芸、砺波、南砺平、南砺福光、高岡第一、富山第一、ふるさと支援
(順不同)